大判例

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名古屋高等裁判所 平成2年(行コ)1号 判決

控訴人

地方公務員災害補償基金愛知県支部長

鈴木礼治

右訴訟代理人弁護士

佐治良三

早川忠孝

佐治良三訴訟復代理人弁護士

藤井成俊

早川忠孝訴訟復代理人弁護士

河野純子

被控訴人

岡林里美

右訴訟代理人弁護士

野呂汎

二村満

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(控訴人)

主文同旨

(被控訴人)

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

当事者双方の主張は、次に付加する他、原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。

(控訴人の主張)

一  訴外岡林の死亡前の勤務について

同人の昭和五三年四月一日から同年九月末日までの勤務状況を、被災当日の同人の業務の過重性評価の付加的要因としてではなく、直接業務過重性認定の基礎事実とすることは、前記昭和六二年及び同六三年の各労働省労働基準局長通達(原判決引用)に反するもので、法令の解釈を誤ったことになる。また、仮に右期間の勤務状況を公務起因性判断の基礎事実とできるとしても、この間の訴外岡林の勤務の負担が過重であったわけではない。同人が引率同行した修学旅行であるが、そもそも修学旅行は、学校行事の中では重要なものの一つではあるが、長年にわたり日本全国の小学校で実施されているもので、その実施方法も概ね確立している。本件瑞鳳小の修学旅行は、極めて標準的な日程行程でなされ、しかも、その間引率教員の業務を過重ならしめるような事故なども全く生じていないのであるから、訴外岡林に格別の負担を与えたとは考えられない。更に、「子どもの本について語る会」は、同人の文学上の趣味のための同好会であって教育職員の職務に密接に関連するものとは到底認め難いし、仮に、これが児童の読書指導についての研究会であり、同人の職務に密接に関連するとしても、この活動は任命権者の支配下にない自由時間内の私的行為であるから、これを公務起因性判断の基礎事実とすることは、地方公務員災害補償法一条に違反するものである。

ポートボールの審判としての公務についていえば、訴外岡林の血管の破裂時期は、同人の被災当日の言動及びCTスキャンによる脳浮腫の状況からみると、被災当日の朝起きてからしばらく経ったころとみるのが医学上の合理的な判断といえるのであるから、右公務は、右発症に全く影響しておらず、たまたまポートボールの審判中に倒れたとしても、右公務と右発症との間には条件関係すらないことが明らかである。

二  吐物誤嚥について

訴外岡林の死因は吐物誤嚥であり、特発性脳内出血と吐物誤嚥との間には相当因果関係がない。現に特発性脳内出血の手術後に吐物誤嚥により患者が死亡するなどということは希有の事例に属するもので、事実同症の手術例一九例中一例も吐物誤嚥により死亡したものはないとの報告もある。訴外岡林のような脳の手術後になお意識障害を伴う場合には、吐物誤嚥は容易に予想されるところであるから、その発生を回避するため、(1)看護婦が付添い、患者の容態を見ながら嘔吐が激しいときは顔を横に向け、側臥位にして吐物を排除する。(2)喀痰や気道分泌物を頻回に吸引するとともに、舌根沈下がおこる虞れがあれば、気道確保のためエアーウエーを挿入する。(3)右方法をもってしても不十分な場合は気管切開をするという各措置を採るべきことは医療従事者にとって常識である。しかるに、公立陶生病院においてはそのような事前措置、あるいは誤嚥発生後の迅速な回復措置を採っておらず、同病院に重大な不手際のあったことは明白である。また、訴外岡林が現に嘔吐した事実からすると、流動食注入の際に本来空腸まで挿入すべき流動食注入管を胃までしか挿管しなかった蓋然性が高く、この点においても同病院の措置に重大な過誤があったと言うべきである。

三  特発性脳内出血の発生原因と司法判断

本症の原因となる脳内微小血管の血管腫様奇形については、医学的には先天的なものと考えられており、同奇形等の破裂誘因については、未だ医学的に十分な検討はされておらず、確立した医学的見解は形成されるに至っていない。脳神経外科の世界的権威者である神野教授も原審においてそのように証言している。しかるところ、本症の発生原因の解明は純医学的なものでなくてはならず、公務に起因する脳内出血であるか否かの司法的判断は、右医学的判断を踏まえての判断でなくてはならない。即ち、公務と本症間の相当因果関係を肯定するという司法的判断は、右両者間における医学的因果関係が存在する可能性が肯定されてはじめて可能となるものであり、医学的見地から公務との因果関係が否定されている場合(「原因不明」も否定の一態様である。)にも司法的判断により公務との因果関係を肯定することは医学上の知見を全く無視し、あまりにも条理を逸脱するものである。従って、公務による精神的身体的負荷に起因して特発性脳内出血が発症する可能性を肯定することは許されない。

ちなみに、脳動脈瘤破裂、高血圧性脳出血と特発性脳内出血とはその発症部位、発症機序が異なる病気であるから、前二者の発症原因となりうる身体的負荷だからといって、直ちに特発性脳内出血の発症原因となりうる身体的負荷があるなどと言えないことは自明である。

四  非災害性死亡と公務起因性

特発性脳内出血のような脳血管疾患は、労働の場合における特定の危険ないし有害物質等に起因して発症することが医学経験則上確立している職業病とは本質的に異なり、本人が有している基礎疾患が諸種の要因によって増悪、発症するものであるため、仮に公務遂行中に発症したとしても、公務が単なる機会原因である場合が多い。従って、公務が単なる機会原因ではなく、公務に起因して脳血管疾患が発症したと認定するためには、公務による過重な負荷が基礎疾病を自然的経過を超えて急激に著しく増悪させ、発症させたと医学的に認められることが必要であり、このような場合にはじめて公務と発症との相当因果関係が肯定されるものである。この見解は近時の多数の判例が認めるところである。これに反し、公務による精神的、肉体的負荷が一般的に特に過度な程度に達していなくとも公務と発症との間に相当因果関係を認めるべき場合があるというような考えでは、発症について公務が単なる機会原因に過ぎない場合を排除することが極めて困難になり、事実上、公務遂行中に発症すれば、公務起因性を認める結果となってしまう。これでは、その実質は条件説や合理的関連性説と変らないことになり、不当である。

次に、相当因果関係の有無を判断するにあたっては、一般人を基準として当該公務が過重なものであったか否かを判断するべきものであり、当該職員を基準として判断すべきものではない。一般人にとっては過重な業務ではなくとも、当該職員にとって過重な業務であるということは、公務遂行中の繁忙の波のなかで捉えれば何とでも言えることであり、結果的に公務遂行中に特発性脳内出血が発症すれば、当該公務による精神的、身体的負荷が当該職員にとっては過重であったということになる。即ち、当該職員が客観的にどの程度の業務に耐えうるかは医学的に推認できないから、当該職員が公務中に発症すれば、それが通常の公務遂行の範囲内の忙しさであったとしても、当該職員にとっては過重な業務であったことになり、当該公務が特発性脳内出血の機会原因に過ぎない場合にも相当因果関係を肯定する結果となる。当該職員を基準とすると、このように公務が機会原因に過ぎない場合にも相当因果関係を認めてしまうという誤りを犯す危険性があるばかりでなく、社会的にみて妥当な範囲に帰責性を限定するという相当因果関係説本来の機能が失われてしまうものである。

五  素因、基礎疾病のある場合の相当因果関係

本人の素因・基礎疾病(以下、「素因等」という。)と公務とが競合して発症した疾病を公務上の疾病であると認定するためには、その相当因果関係の内容は、素因等と公務との関係が単なる共働原因関係ではなく、公務要因の方が本人の素因等に比べて相対的に有力な原因でなければならない。即ち、(1)公務それ自体に過重負担という危険有害因子があり、(2)素因等に比べてその過重負担が相対的に有力な原因であると客観的に認められる場合でなければならない。この相対的有力説は多数の裁判例によっても承認されているところである。従って、素因等と公務が共働原因になった場合も、単に就労したことが条件的な因果関係となっているに過ぎない場合には、公務が相対的に有力な原因とは認められないのであり、公務が相対的に有力な原因をなしているというためには、少なくとも一般職員でも発症の危険性のあるような過重負担を伴う公務に就労したことに起因するということが、客観的かつ明白に認められるものでなければならないのである。

六  地方公務員災害補償制度における相当因果関係

地方公務員災害補償制度は、民事上の損害賠償制度と異なり、使用者と被用者との関係を律する特別な損失補填の性格を有するものであるから、地方公務員災害補償法における相当因果関係は、民事法におけるそれとは内容を異にする。

即ち、民事上の損害賠償制度においては、帰責事由を有する債務者の存在を前提とし、債務者の損害賠償の範囲を社会的にみて妥当な範囲に限定するためのものとして相当因果関係の概念が用いられるのに対して、地方公務員災害補償制度においては、補償の範囲は定型的定率的に法定されていることから、そもそも損害賠償の範囲を限定するための概念としての相当因果関係は問題にならず、公務の遂行に際して発生した災害について、その責任を地方公共団体に帰すべきか否かを適正かつ客観的に判断するための概念として用いられるものである。

この意味での相当因果関係が認められるためには、公務が他の原因に比較して「相対的に有力な原因」であることが求められるわけであるが、このことは、災害補償制度の制度的特質、即ち、業務に内在する各種の危険性が現実化した場合の損失について使用者が無過失責任に基づき負担し、それに要する費用については、労災制度については使用者の保険料、地公災制度においては地方公共団体の負担金により一切が賄われ、労働者なり地方公務員は一切保険料等の負担がなく、且つ責任割合による損失負担が求められていないことから当然に導き出されるものである。要するに、公務が他の原因に比較して相対的に有力な原因ではないような場合についてまで、これを公務に内在する各種の危険の現実化として、地方公共団体の全額負担に基づく公務災害補償の対象とすることは不合理であり、このような場合は、地方公務員災害保障制度の保護範囲に入らず、社会保障制度などにより被災職員の保護が図られているのである。

(被控訴人の反論)

一  訴外岡林は、昭和五三年四月以降の間に徐徐に疲労が積み重なった結果、この疲労の蓄積が共働原因となって特発性脳内出血を発症し、死亡するに至ったものであるから、本件発症が公務に起因することは明らかである。控訴人は訴外岡林の活動の中には公務ではない私的な活動があると主張するが、これを争う。一般に、任命権者の施設管理下を離れて公務に従事している場合には、その間の個々の行為については任命権者の直接の指揮監督を受けず、その間の行為全般について、包括的に任命権者の支配を受け、任命権者に対する責任を負っているものである。このような場合には、個々の行為について子細に区別し、公務との関連性の強弱を論ずることは実情に即さないことが多く、また、実際に無理な場合が少なくないため、積極的な私的行為にわたらない限り、全体として公務に従事しているものとして取り扱うべきである。

ポートボールの審判としての公務は、訴外岡林の特発性脳内出血とは条件的にも関係がないとの被控訴人の主張は争う。訴外岡林の主治医であった堀医師の証言によれば、本件発症における出血の始期は、ポートボール試合の審判時であることが明確に認められる。同医師は、訴外岡林の発症日当日に臨床的に同症状をつぶさに診断しているのであるから、格別に真実を伝えているといわなければならない。仮に、当日朝出血があったとしても、ポートボール審判という強力な負荷により再出血もしくは出血量の増加を招来して急激に発症した可能性は十分に考えられる。

二  吐物誤嚥の処置につき陶生病院に落ち度はない。同病院ではまさに異常発生と同時に異物の吸引、エアーウエー挿入、気管内挿管による気道確保、人工呼吸器装置と万全の応急措置をとっているのである。結局、訴外岡林の場合、一一月三日の嘔吐発生時において脳出血による意識状態が極度に悪化していたため、病院側における十全の医療措置にもかかわらず、吐物の吸収は十分でなく、これによる呼吸停止が改善しないまま不幸な死に至ったものと考えられる。

三  特発性脳内出血であっても、蜘蛛膜下出血、高血圧性脳出血の場合と同様、排便、性交等肉体的または精神的緊張時に発生し易く、その誘因として外的ストレス、血圧が作用することは医学的にも根拠があるといえる。言うまでもなく、本訴において特発性脳内出血の原因、発生機序等に関する医学的知見は、本症発症の公務起因性を法律的に判断するにあたって、これを促し助力する事情の一つにすぎないのであって、同知見の完全な証明を必要とするものではない。控訴人の主張は、本症と他疾患との相違をことさら強調することにより、特発性脳内出血に関する医学的知見を巡って果てしない医学論争に巻き込もうとするものである。

四  共働原因論について

共働原因論とは、既在の素因等が原因または条件となって発症した場合であっても、公務が素因等の増悪を早めた場合または公務と素因等が共働原因となって死亡原因となる疾病を発症させたと認められる場合には、公務と右疾病の発症との間に相当因果関係が肯定されるとする考え方であって、同論は、かって行政解釈上「業務上」となる一般要因としていわゆる災害主義が採用され、発症直前における急激かつ強度の精神的肉体的負担となるべき事態の存在が起因性の要件とされてきた弊害を克服するため、判決が到達した認定理論であって、今日では定着した判例理論である。

控訴人は、相対的有力原因論が多数の判決によって承認されていると主張するが、同論に立つ判決も散見されるとはいえ、そのように確定しているとは到底言い難い。しかし、翻って考えれば、両論を殊更に対比させる実益は左程存しないのであって、要するに、いずれの説にたっても、いかなる場合に公務が素因等を増強させ、またはこれと共働して発症させたといえるか具体的な判断基準を明らかにし、それへの事実の当てはめの合理性が問題とされなければならないと言うことである。

なお、地方公務員の公務起因性については、地方公務員災害補償制度の特質から相対的有力原因論とならざるを得ないとの控訴人の主張は争う。そのような必然性は全くない。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一原判決六三枚目裏七行目の「原告」から同六六枚目裏六行目末尾までの理由説示は、同六五枚目表一行目の「(一)」とあるのを削る他、当裁判所の認定判断と同一であるから、これを引用する。控訴人は、訴外岡林の死因は吐物誤嚥であり、特発性脳内出血と吐物誤嚥との間には相当因果関係がないと主張するところ、意識障害があり自力での摂食能力のない患者においては、吐物を誤嚥し、これが気道を閉塞することがままあり、時として、死に至ることがあること、そのような事態に対応して事前事後の医療措置が適切に実施されることにより最悪の事態を回避できる場合も多いことが挙示の証拠によって認められる。とはいえ、本件全証拠によっても、特発性脳内出血は、死の結果を回避できるのが通常で、死に至るのは医療上の過誤があるなど極めて限られた場合に過ぎないとまでは認めがたく、却って、原審における証人神野哲夫も、特発性脳内出血は救命し得る疾患であるとする一方で、誤嚥がなかったとしても訴外岡林の先行きについては予想できない旨証言するところである。とすれば、前記(原判決引用)のとおり、特発性脳内出血と吐物誤嚥との間には相当因果関係があると認めるのが相当である。

二特発性脳内出血の病態、発生原因及び発症機序

この点に関する原判決六六枚目裏八行目冒頭から同七〇枚目表四行目末尾までの理由説示は次に付加訂正する他、当裁判所の認定判断と同一であるから、これを引用する。

原判決六六枚目裏八行目の「甲第七」のあとへ「、第九」と、同九行目の「一ないし五、」のあとへ「第七七号証、第七九号証、」と加え、同一〇行目の「存在・」とあるのを「存在とその」と改め、同六七枚目表一行目の「証人」の前へ「原審における」と加え、同二行目の「証人」から「神野哲夫」までを「原審及び当審における証人神野哲夫、原審における証人宮尾克」と改める。

同判決六七枚目表五行目の「(1)」とあるのを「1」と改める。

同判決六七枚目表一一行目の「後天的な」とあるのを削り、同行の「血管腫(」のあとへ、「但し、血管腫については後天的に」と加える。

同判決六七枚目裏一行目の「考えられる」とあるのを「考える見解もある」と改める。

同判決六七枚目裏五行目の「になった。」のあとへ「なお、本症は、高血圧性脳内出血などにくらべると、若年層に比較的多く見られる疾患であることが研究者によって指摘されている。」と加える。

同判決六七枚目裏六行目冒頭から同一二行目末尾までを削る。

同判決六八枚目表一行目冒頭から同一二行目末尾までを次のように改める。

「2 脳動脈瘤、高血圧性脳内血腫、脳動静脈奇形の血管破裂誘因については、いくつかの研究も見られるが、特発性脳内出血に関しては現在までのところ研究は殆ど進んでおらず、どのような時期にいかなる原因で異常血管である血管腫様奇形等が破裂することになるかについては医学的に確定的な説明はできないとされている。保健衛生大学の脳神経外科教授神野哲夫の症例調査によると、同教授の下で診療した五〇例のうち、昼間突然に発症したものが二九例でもっとも多く、排便時が四例、食後四例、運動負荷時三例、起床時、睡眠中、飲酒中が各二例、痴呆・歩行障害が徐徐に進行してCTで発見されたものが一例、背景に出血傾向がある症例が二例であった。これを踏まえ同教授は、原審及び当審において証人として「本症は何の予告もなく突然に血管が破れる。ですから、睡眠中にも起こるし、入院して安静にしている時にも起こるわけで、原因はわからない。」とか「特発性の脳内血腫で誘因まで検討したという報告は私は知らない。私どもの自験例五〇例で検討したけれども結論がでていない。結局は知るためのメソドロジーがないというのが現状である。」と証言しているところである。もっとも、いずれも原審における証人宮尾克、同堀汎は、本症と同じ脳血管疾患である高血圧性脳内血腫、くも膜下出血においては、いずれも高血圧や外的ストレスが発症に関与する場合があり、本症の発症もそれらと関係があると証言し、これに対し原審及び当審における証人神野哲夫も、同じ脳血管系の疾患であるとはいえ、破裂箇所、出血した血液の流入部位が全く異なる疾病の破裂誘因をそのまま本症にもあてはまるとするのは誤りであるとしながらも、一般的には血圧の高い方が本症が発症しやすいとの趣旨の証言をしているところである。」

同判決六八枚目裏一行目の「(4)」とあるのを「3」と改める。

同判決六八枚目裏六行目の「(特発性脳内出血を含む。)」とあるのを削る。

同判決六八枚目裏一一行目の「があること」のあとへ「過重負荷とは、脳血管疾患をその自然的経過をこえて急激に著しく増悪させ得ることが医学経験則上認められる負荷をいうものであり、具体的には「業務に関連する異常な出来事への遭遇」「日常業務に比較して特に過重な業務に就労したこと」がこれにあたること、」と加える。

同判決六九枚目表一〇行目の「指摘されている。」のあとへ「(なお、本報告書の脳血管疾患のなかに特発性脳内出血が含まれるか否かについては、専門家の間でも意見の相違がある。)」と加える。

同判決六九枚目表一二行目から同裏一行目にかけての「ないし後天的」とあるのを削る。

同判決六九枚目裏五行目の「困難であるが、」から同七〇枚目表四行目末尾までを「困難である。しかし、地方公務員災害補償法の立法趣旨及び目的に照らし被災公務員遺族に対し補償を付与すべきか否かを法的因果関係の観点から判定することを目的とする司法的判断としては、このように特発性脳内出血の発症原因が医学的に完全には究明されておらず不明であるというだけの理由で、直ちに補償について消極の判断をすることは相当でない。そして、前記専門家会議報告書(原判決引用)における指摘や神野教授による五〇例の報告症例でも心身の緊張時に発症した事例が少数ながら存すること、同報告症例においても全例につき発症の相当以前からの心身状況やストレスの有無についてまでは調査していないことなどを総合すると、特発性脳内出血の発症についても精神的肉体的負荷が関与し、公務による精神的身体的負荷に起因する場合もあることの可能性を全面的に否定することはできない。」と改める。

三特発性脳内出血における公務上外判定の基準

原判決七〇枚目表六行目冒頭から同七一枚目表三行目末尾までの理由説示は、次に付加訂正する他、当裁判所の認定判断と同一であるからこれを引用する。

同判決七〇枚目裏五行目の「の成因は不明であるが、」のあとへ「それは先天的に形成されたものと考えられており、」と加える。

同判決七〇枚目裏九行目冒頭から同七一枚目表一行目の「させたと」までを「そして、このように既存の素因ないし基礎疾患を有する者が、一方で地方公務員として勤務するうち、この素因等が原因または条件となって発症した時でも、公務に従事したことが相対的に有力な原因となって素因等の増悪を早め、あるいは発症を誘発されて遂に死亡するに至ったと」と改める。

四訴外岡林の発症時期

同人が昭和五三年一〇月二八日午後二時一〇分ころ、気分が悪いといって倒れ、意識不明となったことは当事者間に争いがない。そして特発性脳内出血は、脳内微小血管の一部にできた血管腫様奇形等が破裂するものであるが、原審及び当審における証人神野哲夫の証言、書面の趣旨体裁から成立の真正が認められる〈書証番号略〉によると、血管の破裂した箇所から微量の血液が徐徐に浸出するもので、その症状としては、出血が始まりその出血量がある程度まで増大した段階で頭痛、吐気等の初発症状が現れ、血腫量の増大に伴い各種の症状が現れ、やがて意識障害発生という事態に至ることが認められ、更に、公立陶生病院でのCTスキャンから認められる脳内部での血液の流入状態、それから推認される流入経路、五五グラムという血腫量、高血圧性脳内出血における血腫量増大に関する医学的知見、斎藤義一も本症の症例報告の中で意識障害の遅れを指摘していること(〈書証番号略〉)等からすると、本件において出血が始まってから前記のように意識障害の発生するまでの時間は一〇分、二〇分という単位の時間ではなく少なくとも数時間程度を要したものと推定される。この点につき原審証人堀汎は、これと異なり、血管破裂から時間を経ずに意識障害に至ることもあるとの証言をするが、同証人も、相当時間を経ることもあることを全面的に否定するわけではないし、後記訴外岡林の一〇月二八日当日の状況からしても、右堀証言はこの推定を左右するものとは言えない。そして、原審における証人小塚裕子、同伊藤泰子、同宮地五郎の各証言、〈書証番号略〉によれば、訴外岡林は、当日出勤後間もないころより、頭痛等の身体的不調を訴え、普通の健康状態では考えにくい行動を採り(同僚教員や児童の中にはそのことに気付いた者もある。)、また、体調が悪いことから、同日昼ころ同僚の沼本安彦教諭に対し、更にポートボール審判の開始前には宮地五郎教諭に対し、それぞれ審判の交代を頼んだことが認められる。以上のことを総合すると、同人の脳内出血はその意識障害発生直前まで行っていたポートボールの審判中ではなく、それ以前遅くとも当日の午前中であったと推認するのが相当である。

従って、訴外岡林の死亡につき公務上外の認定するにあたって判断の対象となる公務は当日の午前中までのものであって、その後におけるポートボールの審判を行ったことによる負荷は同人の死亡と無関係であるというべきである(前記判示の当日の状況からしても、同日午前中に始まった出血が一旦止って、それがポートボールの審判によって再開したものと認めることはできないといわねばならない。)

五訴外岡林の勤務状況

〈書証番号略〉、いずれも原審における証人加藤孝二、同小塚裕子、同伊藤泰子、同宮地五郎、同川崎伊親、同野田真治の各証言、同被控訴人本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

1  瑞鳳小における訴外岡林の地位及び校務分掌

訴外岡林は、昭和四二年四月教員として採用され、同五三年四月一日付で尾張旭市立白鳳小学校教諭から新設された同市立瑞鳳小教諭に転勤したものであるが、同小学校においては、六年一組の学級担任で、かつ、二組ある同学年の学年主任であった。六年一組は標準的な一クラス生徒数よりかなり少ない二四名の中規模クラスであり、同人は同組の授業のうち音楽と書道を除く週三〇時間を担当してきた他、校務分掌上は、社会科主任、視聴覚教育主任、特活指導の責任者、児童活動の責任者、児童会主任、クラブ担当、企画委員会委員、環境構成委員会委員を務めてきた。ただ、これらの各種校務分掌は、同小学校における学校管理案に基づき各教職員によって分担されるもので、経験の浅い教諭にくらべ同人の負担が多いことがあったとしても、同人にだけ諸負担が集中していたわけではなかった。なお、小学校教諭としては一般的なことであるが、同人には授業時間以外にも、朝の会、給食指導、清掃指導などの職務があった。

同小は新設当時、児童数四六四名、教職員数二二名(うち教員数一九名)の中規模小学校であったが、新設校ということもあって、伝統のある既設校と異なり教育上及び学校運営上、また、新たな校風作りの点でしばしば新規の対応を余儀なくされることがあり、このことから教職員の負担は既設校よりもある程度重くなっている現状であった。しかも、訴外岡林は、教職歴一二年目になり、年齢も三三歳という中堅教員であり、かつ生来の生真面目な性格と恵まれた健康と相まって、前記の各職務を熱心にこなし、上司同僚の信望を集めてきたこともあり、同人の勤務時間中の勤務内容は密度の高いものであった。

2  勤務時間

この点についての原判決七五枚目表四行目冒頭から同裏二行目の「休憩時間がある。」までの理由説示は、当裁判所の認定判断と同一であるから、これを引用する。

訴外岡林の同五三年四月以降の実際の勤務時間は、概ね所定勤務時間内に留まっており、同人の発症に至るまでの昭和五三年一〇月中の同人の勤務時間(但し、修学旅行日は除く)は後記ポートボールの練習指導のため同月一一日以降の出勤が午前七時四五分ころと早くなり、同月一四日、二一日の各土曜日の退勤時間が午後四時ころと遅くなったが、平日の退勤時間はほぼ定時の午後五時一五分ころであった。また、所定の休日に勤務をしたのは運動会が開催された同月一日(日)の一日だけであり、これについては翌二日が代休となった。

3  ポートボールの練習指導

尾張旭市においては、毎年一一月に市教育委員会の主催で市内小学校の球技大会を開催しており、男子はサッカー、女子はポートボールの対抗試合を行うことになっていた。瑞鳳小でもこれらに対応して昭和五三年五月一五日の職員会議で水泳や陸上競技及びこれらの球技についての指導態勢を決定し、ポートボールについては訴外岡林を含む七人の教諭が指導担当者に選任された。同人は学生時代にバスケットボールの経験があり、前任校ではサッカーの指導をしていたことから、指導教諭の中では中心的立場にたち、事実その後の練習の大部分は同人によって行われ、他の教諭は適宜これを補助した程度であった。指導時間については、同年一〇月初旬以降全試合の終了するまでの間平日は午前七時四五分から八時二五分までの四〇分間及び午後三時三〇分から四時三〇分までの一時間、土曜日は午後一時三〇分から四時までと決められた。

訴外岡林は、当初の予定に従い、同年一〇月一一日午前から選手に選ばれた女子生徒を対象に練習を始めた。このため、同人は起床時間を若干早め、午前中四五分の時間外勤務をした。午後の練習は午後四時三〇分までとの予定であったが、午後五時ころまで練習を続けたこともあった。なお、一〇月二一日(土)は白鳳小学校で対外練習試合を行い、午後三時五〇分ころ帰校した。このような練習指導は、同日以降、日曜日、修学旅行前日の二三日の午前午後、同当日の二四日、二五日の午前午後、翌二六日の午前並びに愛日教育研究集会の行われた二七日午後を除いて予定どおり行われ、同人はこれらの練習指導にすべて参加した。

4  修学旅行

尾張旭市立の各小学校では定例的に修学旅行を行っているが、瑞鳳小においても、昭和五三年一〇月二四日、二五日の一泊二日の予定で同市立の他の二小学校と合同して奈良・京都方面へバスによる修学旅行を実施した。参加児童数は二クラスで合計四八名、引率者は責任者の野田真治校長と深谷千嘉子教諭、小塚裕子養護教諭、訴外岡林の四名であり、他に旅行会社の添乗員一名が同行した。

修学旅行は、教育過程の一環として全国の小学校で行われているのであるが、あくまでも学習活動の一部であるから、その実施に際してはそれが学習効果をより高めるために、周到に事前の準備を行い、事後においてもその効果を失わせないように指導することが要求されるものである。このため訴外岡林は六年の学年主任であることから、事前の下見を初め父兄や児童に対する説明等を中心的に行ない、その他「修学旅行のしおり」や「京都奈良資料集」を深谷教諭や児童達とともに作成する等の準備活動をした。しかし、代償休養時間二時間をそのために使った他は、これらの準備のために時間外勤務をしたり、前記ポートボールの練習指導を変更しなければならないというようなことはなかった。なお、原審における被控訴人本人尋問の結果中には、訴外岡林が一〇月二二日(日)の午後も修学旅行準備のために登校したと思う旨の供述があるが、〈書証番号略〉にそのような記載のないことに照らし右供述は採用できない。

一〇月二四日の修学旅行当日、訴外岡林は予め決められていた午前五時三〇分までに出勤して勤務に就き、午前六時同小学校を出発した。午前一〇時から一二時まで見学を兼ねて法隆寺で休み昼食をとった。午後は若草山、平安神宮などを経て予定の午後四時四五分よりかなり早く宿舎の御殿山荘に着いた。その後入浴、夕食をすませ、午後一〇時ころ児童を就寝させてから引率教職員による翌日の打合せを行った。児童の就寝中に訴外岡林は三回にわたり、野田校長は二回それぞれ男子児童室の巡視をしたが、このため訴外岡林の当夜の睡眠時間は約四時間位であった。二五日朝は午前五時三〇分ころ起床し、朝食をとって同七時三〇分ころ宿舎を出発し、清水寺、二条城などを見学して午後五時四五分ころ瑞鳳小へ帰着し、間もなく解散した。以上の日程は、予め下見したコースを途中事故もなく予定どおりに実施することができた。また、同行した野田校長の見たかぎりでは、旅行中の訴外岡林は、他の教員と同様二五日朝眠そうにしていた他は極めて元気で、活発に活動していた。

訴外岡林は、同日午後七時前ころ予定どおり帰宅し、妻に「疲れたがいい旅行だった。」と洩らして、入浴後ウイスキーをダブル二杯ほど飲み、普段は午後一一時ころ就寝するが、いつもより早く午後九時ころ就寝し、約一一時間の睡眠をとって翌朝八時ころ起床した。尾張旭市においては修学旅行の引率教職員には回復措置として、旅行の前後四時間の代償休暇が与えられているが、同人の事前の二時間については前記の事情でこれを取ることができず、後の二時間は取得できたが、一時間早い午前九時三〇分ころに出勤した(もっとも、同人は起床したすぐあと妻を車で勤務先へ送っている。)。ところで、修学旅行それ自体は定例的なものであり、スケジュールも児童の体力に合わせて設定されており、かつ、同年六月にはコースの下見を終えていること、引率生徒数も手頃であったこともあって、標準的な体力を持っている引率者にとっては(訴外岡林にとっても)極端に重いという程の肉体的負担ではなかった。

5  愛日教育研究集会

原判決八二枚目表三行目冒頭から同裏八行目末尾までの理由説示は、同八二枚目表三行目冒頭から同八行目の「岡林は」までを「同研究集会は、愛日地区の公立小中学校教諭全員の参加を予定する研究会であるが、訴外岡林は、昭和五三年一〇月六日午後三時三〇分から尾張旭市立城山小学校で開かれた研究会に出席し、更に、同月二七日に同市立東中学校で開催された特別教育活動研究会において、」と改め、同裏三行目の「二七日」のあとへ「(金)」と加え、同七行目の「は尾張旭地区」から同八行目末尾までを「には一三名の教諭が出席した。」と改める他、当裁判所の認定判断と同一であるから、これを引用する。

6  その他の勤務等について

昭和五三年一〇月一日(日)に運動会が開催され、翌二日が代休となったことは前記のとおりである。運動会終了後約一時間ばかり反省会がもたれ、引き続き打ち上げの会となり多少の酒もでたが、訴外岡林もこれに参加した。また、同月二〇日に行われた児童会の役員選挙についても、同人が児童会の担当であったことから選挙手続きが円滑に進行するようにこれを指導した。

この他、同人は、自ら呼びかけて「子どもの本について語る会」を結成し、同年九月に第一回の会合をもったが、一一月二日には同人がこの会で報告することを予定していた。このため同年一〇月二六日、二七日の夜は、それぞれ翌日の午前二時ころまで起きてその準備にあたった。しかし、同会はあくまでも教職員達の自主的な同好会ないしは勉強会であって、一一月二日の会合も勤務時間外に学校外の場所で行うことを予定していた。従って、当時の校長もそのような会の存在を知らず、まして、この会の準備や参加が研修扱いを受けたようなことはなかったものであって、教職員の仕事の性質の特殊性を十分に考慮しても、同会での活動を公務上のものとみることには疑問があり、同会の準備のための作業を自宅で深夜までしていたことを公務の遂行と評価することはできない。

7  発症当日の勤務状況(但し、ポートボールの審判開始まで)

昭和五三年一〇月二八日、訴外岡林は午前七時四〇分過ころ出勤し、直ちにポートボールの練習指導を行い、続いて朝の会に参加したあと、時間割表のとおり社会、家庭、国語の授業をし、午前一一時三五分から五〇分まで清掃指導をした。当日は同市内の東栄小学校で練習試合があり、同人は他校の試合で審判もすることになっていたため、午後一時ころ自家用車に児童を同乗させて同小学校へ出発した。同人は、前記四において判示したように、体調が十分でなかったが、午後二時ころに始まった東栄小学校対城山小学校の試合に審判として臨んだ。

六訴外岡林の健康状況

前掲〈書証番号略〉、前記証人加藤孝二、被控訴人本人尋問の結果によると、昭和五三年五月三〇日に実施された定期健康診断によれば、訴外岡林は、身長一六一、五センチメートル、体重五八キログラムのほぼ標準的な体形であり、血圧は一〇八ないし六二と正常値であり、前記素因等を除けば身体的に異常はなく、既存の疾患もなく健康なスポーツマンであり、勤務状況にも問題がなかったことから、学校当局も本症発症に至るまで同人の健康状況は何の異常もなく健全であるとみていたことが認められる。原審における本人尋問において、被控訴人自身も、訴外岡林について、本件発症の一週間ほど前までは、元気のかたまりのような人であったと述べている。原審証人小塚裕子は、同年九月に訴外岡林から身体の不調を訴えられた旨、同証人伊藤泰子は、同年九月中から訴外岡林の言動に疲労の色がみえた旨それぞれ証言するが、小塚証人が養護教諭でありながら保健日誌にその旨の記録があるとの証拠のないことや、〈書証番号略〉の記載内容、瑞鳳小の管理職である証人野田真治、同川崎伊親の証言、前記被控訴人の供述に照らし、前記各証言は採用できない。原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、日頃の訴外岡林は比較的酒が好きで、晩酌に日本酒なら二合位ビールだと二本程飲み、喫煙については一日に三〇本弱位であったが、これが同人の健康に影響しているようなことはなかったことが認められる。

訴外岡林の同年九月以降の健康状況につき、前記小塚裕子の作成した〈書証番号略〉には、訴外岡林には同月中ころから身体の変調を窺わせるいくつかの兆候がみられたとの目撃者からの聞き取りの記録がある。しかし、九月に始まった二学期直前の夏季休暇において同人の健康に異常があったとか、何らかの過度の疲労に陥らざるを得ないような出来事があったとかいう証拠は全くないばかりか、〈書証番号略〉の作成が、訴外岡林の死亡後かなりの日時を経てから聞き取りを行ったもので(文書の作成日付は、昭和五五年九月三〇日)、特に児童からの聞き取り部分については正確性については疑問もあること及び前記判示に照して考えれば、通常人が日常的に経験するのと同じように、訴外岡林が九月当時何かの事情で一時的に疲労が身体に蓄積したということはあったかもしれないが、九月以降発症に至るまで身体不調ないしは疲労状態が継続したとは認めることはできない。

七訴外岡林死亡の公務起因性

以上の判示を前提として、同人の死亡が公務上のものか否かについて判断する。

1  前示のように、訴外岡林の死亡は、同人の頭部皮質下の脳内微小血管に先天的に形成されていた血管腫様奇形等が破裂するに至ったことによるものであるが、この破裂誘因については医学的には殆ど解明されていないとはいえ、精神的肉体的負荷ないしはこれからくる高血圧が原因となる可能性を全く否定することもできないところであるから、司法的判断としては、当該発症前の公務の遂行状況によっては、同人の死亡につき公務起因性を肯定すべき場合もあると考えられる。

いかなる内容の業務であれ、これに従事することにより何らかの精神的肉体的負荷を被ることは必然であり、また素因等が加齢に伴う自然的経過により増悪していく可能性も当然のことながら否定できないところである。従って、公務と素因等の発症との間に何らかの関連性があるというだけでは未だ公務起因性を認めることのできないことは当然で、公務による負荷の程度が極めて軽微なことから客観的に見て死亡の原因は専ら素因等にかかるという時には起因性を否定すべく、既に判示のとおり、公務の遂行が相対的に有力な原因になっている場合に始めて起因性が認められると解すべきものである。そこで、右の場合のように公務起因性がないことが明らかな場合は別として、何らかのあるべき基準に照らして考えて、被災前に遂行されていた公務による精神的肉体的負荷の過重の程度その他の具体的状況によっては、たとえ死亡した当該公務員の死亡原因が医学的に不明であったとしても(本件に即して言えば、特発性脳内出血の原因となった血管の破裂誘因が不明であったとしても)、司法的判断としては、公務による精神的肉体的負荷が相対的に有力な原因となったものと判断して、公務起因性を肯定することも、場合により許されると考えられる。そうすると、次に、前記の基準に関する問題として、公務による精神的肉体的負荷の過重性を被災前に遂行されていた公務を担当する平均的な健康度の公務員を基準として考えるべきか、現実に当該公務を遂行していた被災公務員の現実の健康度を基準として考えるべきかが問題となる。しかし、そのいずれの基準からしても、被災前の公務による精神的肉体的負荷が過重とは言えないときには、公務起因性を肯定することはできないと言わなければならない。

2  そこで、このような観点から、以下に訴外岡林の健康状態、勤務状況などについて検討する。

訴外岡林は日頃極めて健康で、勤務先で行われる健康診断においても何の異常もないと診断されており、血圧も正常域であった。昭和五三年四月、同人は新設校である瑞鳳小へ移り、教職歴一二年目という脂の乗り切った男子教員として周囲からその活躍を期待され、同人も六年の学年主任及び六年一組の担任としてそれに応えるように精勤してきた。しかし、昭和五三年九月までの繁忙度については、職務の内容が相当に密度の濃いものであったとは認められるものの、それは、訴外岡林のような経験を有する小学校教員の職務に通有的なものとして言える範囲であり、また、担任クラスの生徒数が前記のとおり比較的少なかったことに照らせば、決して過重なものではなく、事実、同人の勤務は基本的には所定勤務時間内の勤務に止まっていた。ただ、同年一〇月に入るとポートボールの指導や修学旅行の準備及びその実施のために通常の授業等の職務の他に時間を取られるようになり、同月一一日からは出勤時間がいつもより約四五分早くなり、二回の土曜日には退校が午後四時ころとなって時間外の勤務をし、二日間にわたった修学旅行の引率勤務に対する代償として取得できた休養時間も二時間に過ぎなかった。こうしてみると、一〇月に入ってからの同人の繁忙度はそれ以前に比べかなり増大したものと判断される。

このように、訴外岡林の遂行してきた公務の量は、かなり密度の高いものであったとはいえ、標準的な教職員との比較からしても、同人としても、少なくとも昭和五三年一〇月始めころまでは過重なものではなかった。ただ、同月一一日からは、ポートボールの練習指導のため、それ以前に比してある程度勤務時間が増えたのであるが、この点についても、前掲〈書証番号略〉によれば、前記のような授業の開始前、開始後の生徒に対する運動の指導はポートボール以外の運動についても行われており、訴外岡林にのみ特有のことではないことが認められ、過重とまでは言えないところである。更に修学旅行では早朝から勤務に就き、その夜の睡眠時間は四時間位しか取れないまま二日目夕刻まで生徒を引率してきたのであるから、平時の勤務よりもはるかに高い肉体的精神的負荷を受け、疲労の度合いも、その時点においてかなり高かったことは明らかである。しかし、修学旅行は教育の一環として全国の小、中学校で定例的に行われており、同行する教職員や添乗員等のスタッフが揃い、スケジュールが児童生徒にも無理のないものであれば、同行教職員にとって負担が極端に重いというものではなく(本件の修学旅行の実情も、既に判示したように同様のものであった。)、事後の回復措置により健康への影響を避けることができるとの認識が一般的であり、同人も帰宅当夜は平常の睡眠量よりはるかに多い約一一時間の睡眠を取ることができたので、かなり疲労度を解消できたものと考えられる。事実、二六日朝は出勤前の八時ころに車を運転し、二六、二七日の夜には、本来公務とは言えない「子どもの本について語る会」の準備のために翌日午前二時ころまで起きていたこと及び二七日朝には疲れがとれないと言ってはいたものの、同日夜にはよく話をして楽しそうにしていたこと(このことは、前掲〈書証番号略〉及び原審における被控訴人本人尋問の結果によって認める。)からも窺える。勿論、二日間にわたり遅くまで起きて右会の準備にあたったことは新たな疲労を来たしたものと考えられるが、前記のようにこれを公務起因性有無の判断対象とすることはできない。こうして見ると、同人の一〇月初めから発症した一〇月二八日午前までの間に遂行してきた公務量は、小学校教職員の標準的公務量や従前同人が全く支障なく遂行してきた同人自身の健康度にふさわしいと考えられる公務量に比べても、同人に過重な精神的肉体的負荷がかかる程に特段に多かったと認めることはできず、同日午前までには修学旅行による疲労もほぼ解消されたと認められる。

この点につき、原審における証人宮尾克及び〈書証番号略〉によると、昭和五五年当時名古屋大学医学部大学院博士課程に在籍し、公衆衛生学を研究していた宮尾克は、他の研究者とともに調査検討した結果、訴外岡林の発症直前の疲労度は、発症前五日間の拘束勤務時間や準拘束時間、睡眠時間からして極めて高く、「正規の休日の他に欠勤によって取り戻しうる疲労」ないしは「疾病になる程度の疲労」であったとの意見書を作成したことが認められる。しかしながら、そこで前提とされた訴外岡林の拘束勤務時間数は、当裁判所の前記認定したところより多くとっており、睡眠時間数についても一〇月二四日夜を一、二時間と見たり、二六日、二七日の就寝時間が少なくなったのが公務と関係のないことを看過していたりしていることなどからして、これをそのまま本件に採用することは適当でない。

3  以上の考え方を前提として、本件における訴外岡林の死亡が公務起因性を有するかについての判断を示すこととする。

訴外岡林の先天的素因である血管腫様奇形等の破裂誘因については医学的に解明されておらず、たとえば入院して安静にしているような時に破裂することもあるとの医学的知見からすると、精神的肉体的負荷、あるいは、これからもたらされる高血圧が原因で特発性脳内出血が発症することを医学的に証明できていないのであるが、さりとてこれらが原因となりえないことも医学的に証明されているわけでもないことから、公務による精神的肉体的負荷の過重の程度その他の具体的状況によっては、それが相対的に有力な原因となったとの司法的判断ができる場合もあることは前記のとおりである。しかし、訴外岡林の公務遂行の状況及びこれによりもたらされたと考えられる精神的肉体的負荷の程度はこれまでるる認定してきたとおりであって、これをもってしては、司法的判断としても同人の有していた脳内微小血管の先天的奇形が破裂したのは、自然的経過をこえて右負荷が相対的に有力な原因となったと見て、同人の死亡につき公務起因性を肯定することは未だ困難であると言わざるをえない。

八結語

以上判断のとおりであるから、訴外岡林の死亡を公務上のものとは認めなかった控訴人の本件処分には被控訴人の主張する違法はなく、被控訴人の本訴請求は理由がない。

よって、これと異なる原判決を取消して被控訴人の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官伊藤滋夫 裁判官宮本増 裁判官大内捷司)

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